2013年1月31日木曜日

猪口の中の禅者

 生活雑貨を買いにフト入った100円ショップ。奥に酒器が置いてあり、少しムラのある辰砂(あか)の徳利がありました。気に入った色だったので店の籠に入れ、盃も一つと思い二、三選んでいますとなんとビックリ、同じ辰砂の少し大きめの猪口の、底の色むらが禅画でよく描かれる「寒山拾得」の拾得が座っている姿です。トレードマークの箒も持っていつものザンバラ髪です。拾得は唐代の禅僧で寒山や豊干(ぶかん)と共に「寒山詩」のなかの作者の一人で、隠者です。安価な盃の中に禅僧という高潔な人物、まさに陰陽です。
 「寒山詩」は三人の詩が編集されているので、「三隠詩」とも言われています。当時の世俗や官僚に伴う出世欲などを禅僧の角度から批判した詩です。悟った人や禅僧で中央に出ない人物を隠者といいますが、見方によれば一般庶民も隠者です。社会の表に出ず自分の暮らしを守り、周りの人とささやかな関係を作り暮らしていきます。しかし隠者の方が案外上層を客観的に見ることができます。一見上から下を見たほうが好く見えるように思いますが、実際は下から上を見たほうが、事の裏表は好く見えたりします。残念ですが社会の歪なども上より下の庶民に皺寄せがきます。人も前から見るより後ろから見たほうが、暮らし方の活力や自信が見てとれます。少し易的な見方になりますが、陽が陰を理解するより、陰が陽を理解するほうが理解が深いともいえます。立場が低いからといって世間の理解が浅いとは限らず、地位が高いからといって物事や世間がよく解るとは限りません。政済界と庶民の関係も、世間の風の冷たさは庶民の方がよく知っています。唐の隠者が世俗を批判したように、庶民も上にいる政治家や官僚を批判し、低いところからの物言いこそが却って現実に合った未来を描けるのではないかと思います。
 周易も、思想としての高い所からの理解と、占断としての実生活での身近な筮竹の応用の、両面の陰陽で始めて本当の深遠さが解ります。隠者と世俗、庶民と政財界や官僚の関係を陰陽の角度から考えてみました。そこで一句
  〈今の世を盃の中、拾得何思う〉                                                                                            


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